振り返り~小学校5.6年編~
振り返ってみよう。
そんな感じにとりあえずやっていきます。
方向性なんてあまり定まっていません。何故なら私は頭がちょっと馬鹿。
まず、私の中で一番古い強烈な記憶は小学校の5,6年生。
もっと振り返るとそりゃ幼稚園の頃とかあるけど、記憶にモヤがかかってるので省く。
(そのうち書くかもしれないけど)
私の小学5.6年の頃は、とてもませていた。
学校ではブランド品が流行り、コーディネートの一部や持ち物(ハンカチや文房具)にブランド品を組み込まないと相手にはしてもらえなかった。
3万円のコートを買ってもらったのをよく覚えている。
それだけで相手にしてもらえた。仲間に入る事が出来た。
だから、逆に少し見汚い子は結構いじめられていた。
私はそのいじめっ子の中にいた。酷いことをした。
もう一個流行っていたモノがある。交換日記。
私もその輪の中に入りたかった。でも私は絵が下手で字も汚かった。(これは今も)
これには上手に順応出来なかった。気がする。
絵が上手い子、文章が上手い子、まとめ方が上手い子、そういう子が主流。
私はどちらかというと、置いてかれたくなくて、外されたくなくて
そういう子に必死に・・今で言うとごまをする感じでしがみついていた。
私の5.6年生は一言でいうと「ごますり」だったと思う。
いつからか、周りに恐怖心を抱き始めて、仲間はずれにされたくなくて、
必死に出来る事をやり、ごまをすっていた。
でもそんな日に終わりは来る。いじめられるのが私の番になった。あるある。
交換日記内で悪口を書かれたり、とか無視とか、追い掛け回されたりとか、
BPDの中には見捨てられ不安というのがあるが、
この頃から私の中に徐々に植えついていったんじゃないかなぁ・・と思う。
まぁ、いじめてたんだから仕方ないよね。いつか順番は回ってくる。
因果応報。
それでも当時の私にとってはこの上ない恐怖で
学校を休みがちになった。6年の最後の方にはほとんど出席していないと思う。
いじめっ子のリーダーから本を借りて(どうやって借りたかは覚えていない、担任の先生が母に渡したのか・・?)
その本はいじめの事について書いてあり、いじめっ子が「酷いことしてごめんね」
的なニュアンスで反省をする→とりあえず大丈夫だから学校に来い。
という結末に落ち着くからあまり面白い話ではない。
結局恐怖心を抱いたまま、笑顔をとりつくろって卒業した。そんな感じ。
一番怖かった思い出は、帰り道AとBと私で帰っていた時
AとBが私の知らない話題で話していた。私はそれを「何の話なの?」と聞いた。
AとBは答えない。ずっと無視する。私の語気は強くなるけど、
それでも二人は答えてくれなかった。その時の絶望感は今でもたまに思い出して
サーっと血の気が引く。嫌な思い出。
振り返ってみると、やっぱり「ごますり」「恐怖感」「罪悪感」が強いかなぁ・・。
今でもいじめてしまった人には大変申し訳なく思っている。
だからと言って謝るのは自分勝手だと思うし。
んじゃ、何が出来る?と考えると、いじめはよくないねそして因果応報するね。
って考えてこれからは人が嫌がる事をしないようにしようと思っている。
しかし、私は人の嫌がる事をこれからたくさんしていく。(後に書く予定)
そしてここから不登校人生がスタートする。(後に続く)
毎日が日曜日の中学生ライフ(破壊と中二病編)がスタート。
それはまた次回。ではでは。
<文章を振り返る>
うーん文章全体が、被害者的。
この頃の記憶を前向きに被害者的に捉えないようにするにはどうしたらいいのか・・
この頃必死で生きてたけど、人を傷つけたし、酷い事をしたし、
自分を許せないっていうのがあるから、この頃の自分から愛していくのは
とても難しい気がする。酷い事をされたのは私だけじゃない。因果応報であるし、
うーん。